「神の知恵」 08.11.16
コリント一 2:6〜16
神さまは、真に驚くべき恵みを人々に与えてくださいます。
汚れた罪人を救われます。驚くばかりの出来事としか言いようが
ありません。聖書は、主イエスの十字架を「隠されていた神秘」、
「神の知恵」と言い表します。「人の心に思い浮かびもしなかったこと」
(9節)でした。
義なる神さまは、人の罪に対してお怒りになります。ご自分に
従わない者に対して「呪う」とまでおっしゃいます(申命記29章等)。
神さまに背く者が、神さまの恵みの中から追い出されることは、
やむを得ないことでしょう。しかし、人を呪うことを目的とされない
神さまは、呪いから祝福への回復を願われるのです。そのために、
神さまは驚くべきことを計画なさいました。ご自分の独り子を十字架に
向かわせることでした。
神の御子を人の代わりに十字架の上で死なせて、人の罪を取り除かせる
ことになさいました。それは、人の心に思い浮かばないことです。
更に、人は、そのままではこの恵みを受け入れることも理解することも
ないでしょう。神さまの霊を受けることによって、ようやく分かりはじめます
(12節)。
十字架の出来事に、驚くばかりの恵み、憐れみ、愛がこめられていることは、
クリスチャンにとっては明らかのことです。
しかし、それは最初から明らかだったのではないはずです。
礼拝をすることで、神の霊を受け、信仰の目を開いていただいたからです。
分からないでいる者を捕らえ、導き、救いの喜びに気づかせてくださる
神さまの働きかけに、驚かされます。
「キリストの思いを抱いています」とあります。
クリスチャンは、主イエスの思いを知り、イエスさまに従う者として、語り、
行う者です。主イエスの思いを知るためには、
主イエスが十字架の上で語られた七つの言葉を思い起こせば良いと
教えられました。
それらは、赦し、天国、愛、神さまへの信頼などがこもった言葉です。
わたしたちは、主の言葉を思い巡らしながら、キリストの思いを抱く者と
されて、歩むのです。